ジャズマンは黒い靴

僕が初めて読んだエッセイ。

 

 

ジャズマンは黒い靴

 

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高田喜佐さんというシューズデザイナーさんのエッセイ集。

 

学生時代、確かちょうどジャズという音楽が楽しいと思い始めた頃に実家の本棚で見つけて、勢いと好奇心にまかせてさらさらっと読んだ。

 

タイトルからすると、ジャズマンと彼らミュージシャンならではの苦悩を、革靴やサキソフォンに例えて描く文学作品のようなものを想像していたんだけど、そうではなく。
いくつかあるエッセイの中に『ジャズマンは黒い靴』というタイトルのエッセイがあるだけ。それが本のタイトルになっているだけだった。

 

 

 

だから正直、その他のエッセイの内容はほとんど覚えてない。
代わりに僕の記憶に色濃く残っているのは、著者・高田喜佐さんが持つジャズへの想いと、ミュージシャンに対する淡い憧れ。そんな彼女の想いや憧れが彼女の靴に表現されたのかなぁなんて、ジャズがメジャーなジャンルだった時代を生きた人へ想いを馳せる。

 

エッセイということもありそれほど文章量はそれほど多くない代わりに、ジャズミュージシャンたちがいかに粋でお洒落かとということを表現するその言葉が印象的だった。

 

 

MJQのタキシードは格別して、みんなダークスーツにネクタイをして、きちっと決めてプレイをしている。精悍で、気品があって、個性的で自由にスーツを着こなしている。
汗をかいても決して着崩さないジャズマン。なんと粋でお洒落な人たちなんだろう。

 

彼らの足元は、黒の革の靴だった。
ダーク・スーツに、黒い靴だった。
艶やかな足元に、ピカピカに磨かれた黒い靴に、ジャズマンの心意気を感じてしまう。

 

 

それを真に受ける若き日の素直な僕。
そうかジャズマンは黒い靴を履くのかと。

 

 

その頃自分が好きだったジャズミュージシャンとは違う、きっと高田喜佐さんの描くだろうジャズマン像を思い浮かべる。そんな汗をかいても着崩さない、ピカピカに磨かれた靴を履いた粋でお洒落なジャズマンのように僕もなりたいと。
『着崩さないこと』が『自由』という一見矛盾のように思える言葉さえもジャズという世界(ジャンル)では許されたスタイルなのだと。それが粋であり、すなわちジャジーなのだと。

 

 

 

そんな中、旅行で東京で遊びにきた時に銀座で見かけた仕立ての良さそうなスーツとビットローファーを履いたお年を召したジェントルマン。大切に丁寧に手入れをされて長年愛された靴なんだということが、僕みたいな素人が見てもわかるほど味のある靴だった。

 

なんだか大人の嗜みという革靴の世界を垣間見、ワクワクが治まらぬまま帰ってすぐさま祖父に靴磨きのやり方を教えてもらったのが僕の靴磨きライフの幕開け。

 

 

 

でも気がつけば、憧れ、想いを馳せた寡黙で情緒的なジャズマンたちや銀座で出会ったジェントルマンとはいつまでたっても程遠く、そこでいくら靴だけを磨いても彼らにはなれないんだろうけど、もしかしたら…もしかしたら何かを続けた先に彼らがいるんじゃないかと思うのです。
それが例え自分の不向きなことだったとしても。

 

 

要領の悪い自分に嫌気が指しても、ひたすら何かを続けてみようと思うのです。
だから靴磨きも続けてみようと思うのです。

 

 

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