ブランドベルルッティ [Berluti]

5分でなんとなくわかるベルルッティの歴史

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ブランド

 

ベルルッティがこれほど大きなブランドに成長した経緯などをまとめてみました。
オルガの人物像も織り交ぜながらご紹介させていただきます。

 

よければお付き合いください。

 

 

4代目当主マダム・オルガ

もともとはベネチアからの移民。当時のイタリアは情勢的にも不安定な国だったこともあり、何か移住しなければならなかった時代背景があるのかもしれません。
なので、ベルルッティ(Berlutti)もイタリア人の固有名詞です。

 

1〜3代目までは保守的な靴屋さんでした。
ベルルッティはそれまで、フランスのトラディショナルな靴屋でした。
3代目のタルビーニョが若くしてこの世を去り、靴が好きだったのと女性ならではの感性が評価されて、女系ではあるが4代目として抜擢されたのがオルガ・ベルルッティでした。

 

しかし、ベルルッティはルイ・ビトンで有名なLVMH(ルイ・ビトン・モエ・ヘネシー)の傘下に入ります。
LVMHが持つ莫大な資本が加わったことと、オルガの柔軟な感性が相まって、ベルルッティはターニングポイントを迎えます。

 

 

パティーヌの起源

 

パティーヌはオルガの時代からはじまりました。
ウィンザー公(ウィンザー公爵:イギリス王エドワード8世)が、エイジングの進んだ(ボロボロになった)靴をオルガのところへ持って行って「この靴は履けないけどこんな靴が欲しい!」と言ったことがきっかけ。
それに対してオルガが新品の靴をその靴に見立てて染めたのがパティーヌの起源だと言われています。

 

今となってはベルルッティ = パティーヌと思っている方は多いと思いますが、1〜3代目まではそう言った靴はなく、3代目の当主は当時パティーヌの靴を反対していたという話もあるようです。

 

 

一枚革宮廷靴「エスカルパン」とカリグラフィー

 

 

このような1枚革の紐付きの靴、いわゆるホールカットシューズをエスカルパン(escarpins)と呼び、もともとはフランスの宮廷の官吏(かんり)の人たちが履くような由緒ある靴でした。

 

これも諸説あるようですが、こちらのカリグラフィーはオルガが市場で美しいカリグラフィーを見つけて、それを意匠登録して靴に模写したことがはじまり。
このカリグラフィーは「いつまでに〜」みたいな表記があるようで、お金の貸し借りに関する表記を読み取った方がいたようです。

 

日本の書道にも達筆すぎて素人には読めないものがあるように、昔はこのカリグラフィーはひとつの教養を示すものだったようです。

 

ただ、お金の貸し借りの書類では夢がないので、ということでラブレターと解釈してもいいし、詩と解釈してもいいし…というブランディングをされていたようです。

 

 

こういうところにオルガらしさが出ています。
おそらく多くの男性なら文字や文章の意味を考えてしまい、靴にこのカリグラフィーを描くことを採用しなかった…かもしれません。
でもオルガは女性の感性で、このカリグラフィーの内容云々ではなく、単純に美しいという理由で採用したということです。

 

オルガも靴職人(ボティエ)ではあったのですが、どちらかというと手を動かすというよりはアイデアを出す側のタイプだったので、それを優秀な職人さんが形にしていく。そんな構図があったようです。
コルテ(Corthay)のピエル・コルテ氏も、ベルルッティの初代ビスポーク責任者だったようですが、彼もオルガの要望に応えるよう日々奮闘していたのかもしれません。

 

 

初期のベルルッティ

 

初期のベルルッティは顧客の名前を靴につけることがあったそうです。
アンディー・ウォーホルに作ったアンディーもそのひとつです。ビスポークでその人のためにつくった靴が素晴らしかったため、それを既製品のラインとして販売したのがはじまりです。

 

もう廃盤になりましたが、リューイチっていう名前の靴があったそうで、坂本龍一さんからその名を取った靴もあったようです。

 

 

経済発展と人の欲求

 

それまでは道具として靴を捕らえていたのが、経済の発展に伴って違う見方が生まれるよになります。

 

格差社会が生まれるにしたがって、お金を持て余す人種が出てきます。
彼らはその資金でもって、車にはじまり、時計や靴を道具ではなく嗜好品として認識するようになりました。
可処分所得が多くなると、修理を繰り返して何度も履く靴というよりは、趣味嗜好をこらした美しいものが求められ、生まれるようになりました。

 

コルテもスポーツカーのような形に憧れて、それを模したような靴も作られたりというように、こう言った美しい革靴は自由主義経済発展の象徴と言っても良いのかもしれません。
これが80年代後半〜90年代の前半の出来事です。

 

走ることそのものを楽しむスポーツカーのような車が贅沢品として認識されているように、そう言った機能よりも美しさを追求した時計や靴が生まれたのも、この時代に経済が大きく発展したことが理由になっているようです。

 

 

クラブ・スワン

パリの一流ホテルで行われるベルルッティの靴を磨くクラブ・スワンという会。
そこではシャンパンで靴を磨くことで有名です。

 

シャンパンを飲みながら靴磨きを楽しむという意味もあるのですが、シャンパンに含まれる糖分によってツヤを出すという効果もあるようです。
しかし、それ以上にベルルッティというブランドの格を上げるためのブランディングとして開催されたものだと考えられます。

 

ベルルッティの靴はクリームなどを使わず、ベルルッティ純正のワックスでケアすることを推奨されています。
ベルルッティのワックスはサフィールと同じアベル社で作られているのですが、そのワックスはちょっと香りが違うのが特徴です。

 

ゲラン(ベルルッティの顧客)という香水を入れることで、靴を磨く時間を格式高いものにするためのブランディングだったようです。
これもオルガのアイデアです。

 

ちなみにですが、ベルルッティでは人差し指と中指の2本を使って磨きます。ジョン・ロブは人指し指1本で磨くのも有名ですね。
ヨーロッパスタイルとかイングランドスタイルなんて呼ばれてるのを聞いたことがあります。

 

 

ベルルッティのブランディング

以前、ベルルッティのロイヤルカスタマーの方にご一緒させていただき、ベルルッティの銀座店の何周年かのイベントにお邪魔したことがあったのですが、ポーカーテーブルやルーレットテーブルがおいてあったり、非日常的な特別な空間が演出されていました。

 

帰りにこんなレザーのハードカバーの無地のノートを手土産に持たせてくれたりと、ラグジュリーを堪能させてくれるブランドです。

 

 

もったいなくて使えないけど…笑

 

 

 

そして僕はベルルッティの靴は持ってないけど。笑

 

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